謹賀新年

2017.01.04(Wed)

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わからなかったころは、毎年大晦日には「来年こそ絶対信心決定する!」と誓いながら峻厳な態度で新年を迎えていました。

今はすっかり昔の私にもどり(S会と関わりなかったころの)カウントダウンのテレビをみながらのんびりしたものです。

わからないといって悲壮な気持ちにならなくてもいいし、そんなに辛い思いをしなくてもいいと思いますが、かつての私のような気持ちの方がおられたら、早くラクになってほしいと思います。

阿弥陀様は厳しい方ではありません。

年末年始関係なく私達をおさめとってくださっています。


昨年はブログに誓ったわりにはあまり聴聞に行っていないので、今年はもっと出かけるようにしたいです。













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メリクリ?

2016.12.25(Sun)

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自分で書いておきながら、どこから訂正していいいかわからなくなりました。

ただサンタさんは「いい子にしていた子」や「寝ている子」にプレゼントをくれますが、阿弥陀様にはそんな条件はありません。

悪い子でも起きている子でも、いや子供じゃなくても自分から願い事をしていなくても、そもそもクリスマスの日でなくても、常に十方衆生に呼びかけておられます。

この無制限さや枠の無さが、逆にわかりにくくなってしまう要因でもあると思うのですが。

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「散乱放逸もすてられず」

2016.12.10(Sat)

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願力無窮にましませば、罪業深重おもからず、
仏智無辺にましませば、散乱放逸もすてられず

のご話讃を検索していて、この法話を見つけました。

阿弥陀様のことは「親さま」や、婚家に対しての「実家」「我が家」などに例えられますが、すべてを受け入れて許されているという思いが気兼ねのなさとして表現されるのだと思います。

もうすぐ年末ですが、毎年夫の実家で過ごすのが正直いうと億劫です。

最近は義弟の子供などに関心が移ってきたので多少ラクなところはありますが、結婚したばかりのころはみんなの意識が私に集中しているというか、気を使ってくださっているのはよくわかるのですがとても疲れるところがありました。

「たのむからそっとしておいて」と思いながら、帰る時間を逆算して指折り数えていました。

かといってみなさん親切でしてくださることなのでこちらとしてもつまらない顔をするわけにもいかず、輪をかけていい子を演じて疲れ果てていました。


以前「嫁入り?」という記事を書きましたが、これって嫁入りすることのない男性にわかりにくかったでしょうかね。

いい子ぶったり取り繕う世話のいらないということが言いたかったのです。


かといって、私は庄松さんのように本堂でゴロンと横になることはできません。

厳かな雰囲気にのまれて逆に背筋が伸びてしまいそうです。

また本当に阿弥陀様が目に見えたとしたらいい子を演じてしまうと思います。

金色のお姿で半眼の瞳で見つめられたら悪いことができないような気もします。

気詰まりになってそのうち「もうあっちに行っておいてください」と言ってしまうかもしれません。


うーん、なんだか矛盾しているような内容になってしまいました。

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楽しい沙汰、しんどい沙汰

2016.12.05(Mon)

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以前にも書いてますが沙汰ってしんどかったです、自分がわからない方だと。

もう言うことも尋ねることもなくなって、頭がフリーズしてるようになってしまうのです。

終わらせ方もどういえばいいのか難しかったです。

「わかりました(わかってないけど・・)」

「自分でよく考えてみます(でも考えるのは自力って言われるし・・)」

毎回情けない気持ちで終わりを迎えました。


一方わかった側としての沙汰はとっても楽しいものがあります。

意地悪な気持ちではないですが、自分も通った道なので相手の考えてることもわかるので、こちらは言う言葉がいくらでもあるのです。

相手に言葉を選ぶことで自分の考えがまとまって、しゃべりながら「ああ、そうそう」と自分で気付きを得ることもあります。

また、こういう沙汰のきっかけでもないと法について話すことがなくなってしまうので、そういう意味ではとても有り難いことで感謝しないといけません。



今しんどいなーと思っておられる方々、「そっちを楽しませてやってんだよ、ありがたく思いなよ」くらいの気持ちで沙汰してみてください。

いやひょっとして「わからないふりをしている環相の菩薩」なのではありますまいか。

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ブラック的白道

2016.11.27(Sun)

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【「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由】として、作者がブラック企業に勤めた経験を描いたマンガを見ました。

初め作者は細い道を歩いています。

しかしだんだん暗く険しく選択肢はなくなっていきます。

作者が真っ暗闇で高い岸壁を呆然と見上げて、絶望してふらっと倒れてしまうシーンがあるのですが、私は「あ、私の想像していた三定死とはこんなことだったかもしれない」と思いました。

主人公の歩く細い道は、私の思っていた二河白道と重なる部分がありました。

作者が自ら他の道を塗りつぶしていったように、私ももっと仏法一筋にならないといけないと思っていました。

会以外のことにお金や時間を使うことをよく思われない風潮があったからです。

趣味を持つことも悪いことのようにとらえられていました。

ある講師には「火の河と水の河が激しくなってくることが白道を進んでいる証拠です」と言われ、どんどん辛くなってもわき目もふらずに、それをむしろ喜んで受け入れて進まないといけないんだと思いました。

ブラック企業で働く人はここから逃げるという発想がなくなって追い詰められていくのだと思いますが、S会では「ここから離れては信心決定できないまま無間地獄に落ちるしかない」という考えになるので逃げ場がないということでは同じです。

体育会系のノリで鼓舞され、会を維持するために会員がどんどん疲弊していくところも、ブラック企業と共通するものがあると思います。

自らタイムカードの不正をしてサービス残業する社員のように、会員の人達は自分のお金も時間も捧げて活動に専念しています。

一般的な常識よりも、その閉鎖された世界でしか通用しない理屈や正しさの方が重要になります。

またそのおかしさに気付く人が出ないように、「こんなことを言いだすのはおかしいことだ」と予防線が張られています。


私はうつ病になるほどの無茶はしていませんが、そこまでできないことを後生に不真面目ではないのかと自分を責める気持ちがありました。

でも私の考える三定死とはうつ病寸前のことだったのではないのかと思って、本当に辞めることができてよかったと思いました。

はっきり自覚はないにしても、漠然とこういう発想をしている人は多いのではないかと思います。

会員の方々はS会がカルト宗教だなんて夢にも思ってないと思いますが、その言い方に抵抗があるならブラック企業と社員の関係といえばどうでしょうか。(余計ムリな気がしないでもないですが)


ブラック企業やカルト宗教やDVでなど(いじめも含まれるのかもしれません)のように、根底に他人をコントロールしたいという目的のあるものは、規模は違えど全て似通ったものになるのかもしれません。



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