同じく「佛力を談ず」からです。
「この泥凡夫はどうにも、こうにもならんから、これはそのままにしておいて、向こうが私に身を削って合わせてくださった。それが命がけの兆載永劫のご苦労であります。
だからお内仏にお礼をするとき、いいこころになることはないですよ。なりゃあせんのですから。私のことが地団駄ふんで大問題だというお姿だ。今日もきょうとて地団駄ふんで私のためというお姿。
しかもあそこから私に立派になれとおっしゃるのではない。『お前がつまらんから私が大丈夫になったよ。』というていらっしゃる。
私の事が大問題の親様であります。」(仏力を談ずp.313)
「私が大丈夫になったよ。」という言葉がとても好きです。
うれしい、ありがとうございます、と思います。
「この泥凡夫はどうにも、こうにもならんから、これはそのままにしておいて、向こうが私に身を削って合わせてくださった。それが命がけの兆載永劫のご苦労であります。
だからお内仏にお礼をするとき、いいこころになることはないですよ。なりゃあせんのですから。私のことが地団駄ふんで大問題だというお姿だ。今日もきょうとて地団駄ふんで私のためというお姿。
しかもあそこから私に立派になれとおっしゃるのではない。『お前がつまらんから私が大丈夫になったよ。』というていらっしゃる。
私の事が大問題の親様であります。」(仏力を談ずp.313)
「私が大丈夫になったよ。」という言葉がとても好きです。
うれしい、ありがとうございます、と思います。
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