畑ではまぐり

2016.10.20(Thu)

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求まらないものを求め続けさせられている状態の会員さんに向けてのつもりだったのですが、方向違いの努力をして信心をもとめていた自分の姿にも思えてきました。

自分としては阿弥陀様に向いてるし、「聞け」と言われてももうさんざん聞いてるしと思いつつ、一方でそれが今の自分にはあまり関係ないとも考えていました。

信心がわかったら阿弥陀様はこっちを向いてくれて、本願も意味を持って自分に働きかけてくれると思っていたからです。

しかし、それでは順番が逆なのです。

阿弥陀様の方から私に向いていてくださり、本願は働き続けてくださっていました。

私は海ではなく畑に出かけてはまぐりがないと文句をいっていたのです。





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コメント
「畑ではまぐり」、面白いですね。
対 高森親鸞会用の寓話で、バレーボールの試合の最中に同じ球技ということでサッカーのルールを持ち込んで、突然ボールを蹴りだすのが親鸞会などと揶揄してました(笑
仏教では信仰(信仰という語は、キリスト教の概念によって言葉の意味が変質しているので注意)という言葉の意味に、シュラッダー、プラサーダ、アディムクティ、バクティなどがあります。
この中で高森親鸞会の教祖である高森顕徹氏の布教姿勢は、まさにバクティでした。いわゆるアジテート(扇動)なのですが、これが思春期の若者特有の「存在の不安」を抱く人にマッチしたのでしょうね。やがてN氏などによって大学生をターゲットとしたシステムが構築されるのですが、これに嵌ったのが生真面目な学生諸氏でした。
面白いことに、彼らは高森顕徹絶対主義ですから、直にお聖教を読むことはありませんでした。いびつで間違った高森顕徹氏の聖典理解を絶対化したのでした。
そんなこんなで高森親鸞会との付き合いは50年以上になるのですが、当時、高森顕徹氏が在籍していた「華光会」での信経験を化身土文類p.455にある『起信論』の妄想と同値したのが間違いの始まりであった(笑
ともあれ、高森顕徹を絶対の善知識としたところから、畑ではまぐりを求める愚行になったのだが、ある意味では、存在の不安という不安から救われたいという煩悩、自己の欲求の裏返しなのであろう。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ これ最強(笑
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%93%E3%81%86

林遊@なんまんだぶ 2016.10.21 22:46 編集
林遊さん

バレーボールの試合中にサッカーをし始めるたとえ、笑ってしまうけどよくわかる気がします。

林遊さんは50年以上も前から親鸞会を知っておられたのですね、内情にもお詳しいはずです。

入会した当初は会長は自分が生まれる前から真実の教えを説いてくださっていたんだ、と感激したものでした。
今となってはすでにその当時から疑問視する声もあったことが大変ショックです。
これまで会として存続していたことに腹立たしさを覚え、自分より先に入会して会を支えてきた人達に「何してくれてるんよ」と言いたい気持ちになります。

そして数年とはいえそういう一人であり、親鸞会の発信するメッセージに響いてしまう自分であったことを心から情けなく悔しく思います。
ことり 2016.10.22 23:19 編集
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