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条件つき?

2016.08.04(Thu)

『未分類』 Comment(3)Trackback(0)
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何か簡単な条件でもあった方がわかりやすいのにと思っていました。

そうした場合、その条件込みのご本願を受け入れられるのかという問題にもなります。

何かをしたとしても、これで本当に?という思いは拭い去れないでしょう。

たとえ阿弥陀様がそれでゆるしてくださっても、自分の方から疑ってご本願を退けてしまうと思います。

自分の手元ばかりをみて実際阿弥陀さまを向いていないのだから、ご本願と遇う事はできません。

やった感、達成感を足しにしようとする心は邪魔になります。

実際自分のやった感、達成感など1ミリも起ることなく、すでにゆるされていたことを知ることになるのです。



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コメント
「やった感がないと」という気持ち、とてもよく分かります。

素直にそのままお聞かせいただくことが信心だと言われても、どうすればいいのか分からないのです(どうすればと思うことがすでに間違っているのですが)。
それよりも、精一杯の善をして、善が出来ないと知らされた時に救われる、というほうが「やった感」があって、こうすればいつか救われるのだと思って進みやすいのです。(本当は進んでいないのですが進んでいるように錯覚してしまう)

でもそれは大間違いでした。阿弥陀さまに向かず、自分ことしか考えていない自己中そのものでした。
mashu 2016.08.11 09:38 編集
今思うと、親鸞会って「あなたのやる気に応えます」という求人広告を打った会社のようだったかもしれない。
あなたのやる気次第でいくらでも早く「信心」に到達できますよ。そのためのエクササイズを示しましょう。これは善知識たる高森先生が厳選された実践メニューですからね。みたいな感じで。
その実践メニューたるや、「勧誘」と「献金」に集約されるのだけど。
セイウチ 2016.08.13 00:42 編集
mashu さん

おそくなりすみません、コメントありがとうございます。

「精一杯の善をして、善が出来ないと知らされた時に救われる」って当時としてはとてもわかりやすかったです。

今は辛くても宿善がたまっていつか役にたつはず、という考えしかありませんでした。

阿弥陀様に向くように教えられることはなく、自分のやるべきことにしか目を向けられないようになっていました。

本来私達は「努力が実る」という考えしかないわけで、そういう日常のこととは全く違うと教えるのが善知識の役割だと思います。


セイウチさん

「私のやってきたことは全部無駄になるっていうのッ!」と血相を変えられた会員さんを思い出しました。

例えば困った人を助ける善であれば、信心と関係ないといわれても無駄とは思わないはず。

献金も勧誘も、本来みんなやりたくないことを頑張っているので反動は大きいと思います。

はっきりとした自覚があるかどうか別として、後でこれが何倍にもなって帰ってくると思わないとできないことです。

無駄な投資をさせられている会員さんが気の毒です。
ことり 2016.08.17 17:35 編集
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