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大掃除のようには捨てられない

2014.11.29(Sat)

『未分類』 Comment(2)Trackback(0)
自力を捨てる

年末も近いので少しずつ掃除したり整理したりしています。

昔に比べれば意識して物を捨てるようになりましたが、それでも増えて困っています。

急に思い切って洋服や本などを捨てる時がありますが、これまでは「さすがにこれは」と迷っていた物を捨てられた時はとても達成感があったりします。

少し大げさですが、成長できたようなすがすがしさや自己信頼感を感じます。



捨てるといっても、自力の心は自分で思い切って捨てられるものではありません。

なんとなくできそうな気がしていたこともありますが、結果から言えば自分の意志で捨てることはできませんでした。(当然ですが)

何か重大なことをカミングアウトしたり、いっそ阿弥陀様の悪口(特に思って無くても)を言えばいいのだろうかと思っていたこともあります。

これくらい思い切ったことができないと、信心という得がたいものとは交換してもらえないと思っていたのです。

また、自分の心を出し切った先に信心があると思っていました。


物を捨てる時は、自分の意志で捨てられて達成感も得られますが、自力の心を「やっと、捨てられた!すがすがしいなあ」という瞬間があるわけではありません。

ぽかっと心が入れ替わってしまって、後から「これが無いという状態なのかな」と気付くようなものだと思います。


捨てることにとらわれるより、聞いていくこと、仏様から何を言われているのか考えていくことが大事だと思います。
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コメント
はじめて、コメントさせていただきます。「信ぜずば、誹ってなりとくれよかし、汚れにものは洗われもせず」(悪口で自分の口が汚れたら洗い流そうという気持ちがわいてくるはず)。わたしはこの歌に込められた浄土真宗の教えの奥の深さを感じます。どこかの国で起こった事件ですが自分の信じる神の風刺画に怒り、さも自分が神の使いのごとく殺人までして懲罰(破邪)に走る思い上がった宗教信者とくらべてなんと懐が深いか。恥ずかしながら、昔私も阿弥陀如来の心の代弁者のように思い上がって、活動していました。・・いまはその思い上がりから解放されて、謙虚にかつ阿弥陀如来の救いから逃げ回って生きています。
洞 正男 2015.01.12 00:42 編集
洞さま

コメントありがとうございます。先日はどうもお世話になりました^^

真心を貫き通すとはこういうことなのだなあと思います。
私なら真心を尽くしてもわかってもらえない相手には、とても親切心を起こそうという気持ちにはなれません・・。
光明無量、寿命無量の仏さまだからこそ、奥深い末とおりたる慈悲をもっておられるのだと思いました。

私も昔は自分が聞いている教えこそ正しいと思い上がっていました。
今はむしろあまり白黒つける気持ちが無くなり、熱狂的なものに違和感を感じるようになりました。普通の生活をしながら信仰できないとすべての人を救う教えにはならないし、そうでない教えなら存在の意味がないと思います。
ことり 2015.01.14 11:35 編集
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