フキダシの言葉

2013.03.08(Fri)

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阿弥陀様なら

信心がわからないと悩んでいたころは、阿弥陀様から「信心がないことには救ってあげられないよ、なんとかがんばりなさい」と言われてるように思っていました。

「信心のある人をそのまま救う」という教えだと思っていたからです。

今なら「無理だったら信心決定しなくていいよ。(そもそもこの言い回しではおかしいのですが、私を安心させるため)それでも私が見捨てずに救うことには間違いありませんからね」とおっしゃっていると思います。

第三者の人(知識、お同行)と、阿弥陀様では、言葉が違ってきます。

最初に思っていた言葉は間接的で、第三者の言葉のよう感じます。

阿弥陀様でなければ発することができない直のお言葉というものがあり、それを直にきくことを信心というのだと思います。

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コメント
愚禿抄に「直の言は」という御自釈があります。祖師も、直に聞くということに強い関心をお持ちだったことが分かります。
たかぼー 2013.03.08 12:24 編集
あっ。書き忘れた。フキダシの言葉は、人の「はよう信心決定せんかい。コラッ。」という言葉ですね。
たかぼー 2013.03.08 12:27 編集
誰に言われていたのでしょう、なかなか厳しい言葉ですね。
「信心決定しなさい」とだけ100万回聞かされても信心決定することはありませんね。信心の内容がわからないのですから。
会員のころはまさにそうだったなあと思います。
ことり 2013.03.08 17:06 編集
こんにちは。読ませていただきました。

>無理だったら信心決定しなくていいよ

うーん、ことりさんもおっしゃる通り、これだとやはり違和感を感じてしまいますね(;^_^A
もとより真宗の信心は私がおこすものではないですし、「この弥陀の力ひとつでそなたを往生させるぞ」という仏勅を疑い無く受けたのが信心の姿ですから。
「信心決定」という単語の語義という前提にズレが出てきてしまいますし、また、額面通りに「信心決定しなくていい」と解釈してしまうと、「弥陀をたのまなくてもよい」という無帰命安心になってしまうわけで、仏勅を表現する上で語弊のある表現ではないかなと感じました。
「お前の後生はもとよりお前の仕事ではない、お前が心配したり手を出そうとするでないぞ。そなたの往生はすべてこの弥陀が引き受けて連れて行くぞ」と表現するのがしっくりくるように思いますが、いかがでしょうか。
Rudel 2013.03.20 16:47 編集
他力の信心においては、自分の能力を発揮して信心決定するものではないから、人から「信心決定しなさい」と命じられても「(自分の力では)できません。」ということになる。この論理は正しいと思います。そもそも、弥陀が「信心決定せよ」と命じることはしません。ルーデルさんが言われるように弥陀の言われることは「お前の後生はもとよりお前の仕事ではない、お前が心配したり手を出そうとするでないぞ。そなたの往生はすべてこの弥陀が引き受けて連れて行くぞ(お前の何の微作も必要としないぞ)」ということだけです。「信心決定あれかし」という言い方を「信心決定せよ」という言い方に変換してしまうと、能動的な動作をとることを含まない言い方から、能動的な動作をとること命じる言い方に変質してしまうことになります。ですから、「信心決定しなさい」と命じられても、私も「無理です。できません。」と応えてしまいます。面白い論点です。
たかぼー 2013.03.21 13:27 編集
Rudel様 たかぼー様
自分で書いたことですが、何かごちゃごちゃになりそうです^^;

>「信心決定」という単語の語義という前提にズレが出てきてしまいますし、
確かにそうですね。
ただ「信心決定しなくていい」と言われても「それでも救う」を受け入れたら、それは信心決定じゃないかなと思ったのです。
信心決定しなければとガチガチだったころは、「信心決定」そのものに誤解がありました。
その時こういわれたらとてもほっとするだろうなあと思って書いてみました。
確かに無帰命安心になる危険も多いにありますね。

やれと言われても私なら「無理です」というか黙り込むだけです。
私たちが最終的に聞かないといけない言葉は「信心決定しなさい」ではなく、阿弥陀様の直接の言葉です。
私なら「『任せなさいよ』と阿弥陀様が言われています」とは言えますが、「任せなさいよ」と言い切りの形で言えるのは唯一阿弥陀様だけです。
それを聞くことが信心決定だと思っています。
ことり 2013.03.21 19:03 編集
 吹き出しとネコちゃんを見ながら、
「信心決定できない」
と泣いているネコちゃん(私)に阿弥陀さまが
「南無阿弥陀仏」
と呼びかけられている相を想像してしまいました。

 阿弥陀さまは私が寝ていようが、酒を飲んでいようが、ハマスタでベイスターズの応援に没頭していようが、酒とナイターの間に仕事をしていようが常に南無阿弥陀仏とお呼びづめですから。

 サボりまくりのお称名の中、聞こえてくるのは、阿弥陀さまの、
「助けるぞよ」
の喚び声ばかりでございます。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
純朗房義信 2013.04.17 23:40 編集
純朗房義信様
コメントありがとうございます。
阿弥陀様は私が気づく前からずっと気にかけてくださっていました。
庄松さんではないですが、気づかせていただいた後もずっと甘えっぱなしで恥ずかしいばかりです。
ことり 2013.04.19 12:01 編集
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