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文字どおりにうけとる

2012.07.15(Sun)

『未分類』 Comment(15)Trackback(0)
文字通りに

心理学にありそうな言い方ですが、受け取ることを自分に許可してみたらどうでしょう。

私は仕事先で配られたお土産はいただけますが、「ご自由に」とおかれたものに対してはなかなか手がでません。

そういう場合は数が少なくて早い者勝ち状態なので、遠慮する心が働いてしまいます。

文字通りに「ふーん」と軽く受け取れる人は、本願に対してもそうなんではないかと思います。

ご本願を文字通りに受け取って、阿弥陀様が「厚かましい」と思われるでしょうか。

お土産ならひょっとして「空気をよめ」という状況があるかもしれませんが、阿弥陀様は仏様なのであって、そのような人のルールの境涯にはおられません。

そもそもたやすく受け取らせるために作られたご本願ですね。

本願の内容というより、そのお慈悲に甘えてみてはどうでしょうか。

ご本願は「数に限りがあるのでお早目にどうぞ」という早い者がちではありません。

これはあなたの分ですと書いてあると、遠慮がちな人も安心して受け取れるのではないでしょうか。

もっというなら、もう目の前に出されているので、ただ「ありがとうございます」でいいのですけど。

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コメント
難しくしているのは自分なのですね。ただ、どうしても言い訳やら、自分のなにかを付け足そうとしています。
2012.07.16 15:54 編集
こんにちは、コメントありがとうございます。
今でこそ易しいといっていますが、以前は難しく考えるなと言われても、他の選択肢が思いつきませんでした。
ただ阿弥陀さまはとにかく広い御心の、果てしないお慈悲の方ということを考えていただきたいと思います。
そういうお方が「易しく考えない人は救えませんよ」といわれるでしょうか。それでは衆生を救うという阿弥陀様の目的を達成できなくなってしまいますね。
「難しく考えてしまっている今のあなたのままで救いますよ、安心してくださいね」とおっしゃるのではないでしょうか。
どこどこまでも寛容な阿弥陀様の御心に、思いをはせてみていただきたいと思っています^^
ことり 2012.07.16 22:52 編集
「ご自由にお取りなされ」と言われても、見物客の目に「つまらないもの」と映ったときは、見物客は手に取ろうともしないで、まるで見なかったように通り過ぎてゆきます。「そのまま来いよ。」のおさとしも、何の価値もないかのように打ち捨ててしまうのが私達の性(さが)、ですね。驚くべきことです。
たかぼー 2012.07.17 16:42 編集
すぐに軽々と受け取れる人の中で、これは価値あるものと見れる人がいるのかどうかよくわからなくなりました。
価値を見出せないと、どうぞと言われてもいらないと思うだろうし、価値を重くみれば軽々と受け取れなくなりそうです。
とりあえず受け取って後から価値を聞いてわかっていく、とかどうでしょう。
とりあえず、ということが可能なのかどうか問題ですけど。。
ことり 2012.07.17 23:28 編集
お返事くださりありがとうございます。御法話を聴聞させていただくなかで、いつも気にかけていることがあります。布教使の先生方が話される内容が、すでに御本願を聞いている前提で話されます。私は自分の中で今の自分は違うなどと思ってしまう心があります。
2012.07.18 03:51 編集
永遠の過去から現在に至るまでの間にずっと私に「浄土に連れて還る」と呼びかけられているのが阿弥陀仏の本願です。私は、その呼びかけを聞きながら「私には関係ない」と見向きもしてきませんでした。これが現在の私の姿(なれの果て)です。阿弥陀仏の願心に触れてみてください。なお、「今のご自分と違う」というのは、どういうことか分かりませんが、すでにご本願を聞いているのは間違いのないことだと思いますよ。
たかぼー 2012.07.18 10:45 編集
なぜ私ご本願を知っているかというと、元を正せば阿弥陀様がそう誓われたからです。

私は「本願が建てられたことは疑ってないけど、信じられてないから救われてない」と思っていましたが、それは本願を間違えて聞いていたからです。

「まだ救われてないのに」と思って聞くと、ご法話に違和感を感じてしまうかもしれません。
よそよそしく遠慮する心も阿弥陀様はお見通しです。
もう見通されているのだから、いまさら遠慮はいらないのです。

疑いを捨てよとは言われず、「そのままでよい」というお言葉で疑いを捨てさせてくださる阿弥陀様です。
「信じられたものを救う」ではなく「信じられない者を救う」だから私は救われることができるのです。

どこまでも許してくださっている阿弥陀様のお慈悲をたよりとしていただきたいと思っています^^
ことり 2012.07.18 23:17 編集
ありがとうございます。阿弥陀仏の本願を聞いていると自分なりに思っていましたが、結局は自分に向かっていたのですね。ただ、阿弥陀仏の本願に思いをよせるとはどういうことなのかと疑問がでてきます。よく御法話では自分の物差しでしか信じないと言われます。まさに、そのような状態になっている感じがします。
2012.07.19 09:57 編集
「私を浄土に連れて還る。そのことにひとつも間違うことはない。必ず浄土に生まれさせる。」  この阿弥陀仏の仰せを私がどのような物差しをもってアレコレ量ったとしても、「必ず、浄土に連れて還る」という仰せが変わってしまうことは金輪際ありません。だから、その変わらぬ仰せを受け取ってください。私の方から「本願に思いを寄せる」行為(=意業)を起こす、のではありません。そうであったかと、仰せを受けるのです。 
たかぼー 2012.07.19 11:34 編集
私が思いをはせてと書いたのがよくなかったですかね^^;
私は自分は今どういう心か、変化はあるか、とそればかり気にして、お慈悲を信じていなかったのです。本願には背を向けたまま、救われたいと願っていました。
今一度、ご本願に何が言われているか、よく聞いていただきたいです。「条件なし」と聞いても、自分の中で条件を作っていないでしょうか。
言葉を変換して聞いてないでしょうか。
たかぼーさんの言われているように、「必ず、浄土に連れて還る」という本願が変わることはありません。私がどんな心でも、何をしても、まったく関係なく宣言され続けているお言葉です。
何度も聞いてきたと思っていた本願の内容が、全く違う意味として聞こえる時があると思います。
ことり 2012.07.20 04:44 編集
阿弥陀仏の仰せをそのまま頂きますと、自然と阿弥陀仏の願心に思いをはせて、願心をそのまま頂けるようになります。そのため、「思いをはせる」というのは「信」をあらわす言葉して有用だと思いました。
たかぼー 2012.07.20 13:18 編集
いろいろお返事ありがとうございます。もう一度、阿弥陀仏の本願が私に何を誓われているのかを聞いていきたいと思います。
2012.07.21 03:34 編集
誓いは、私を必ず摂取し捨て給わず、ということです。
たかぼー 2012.07.21 15:37 編集
以前、戯れに
「くれてやる もらえるものは もっていけ」と読んだことがあります*笑*

加茂和上はよく、鮮妙和上の「言うた通り聞いて、聞いた通り思え」という言葉を引き合いに出して話されていましたが、
「つれてゆくぞ」の仰せを仰せのままに受け入れる以外になかったなぁ、といつも思います。
Rudel 2012.07.25 07:45 編集
加茂和上のお言葉はシンプルでわかりやすいですね。
「言うた通り聞いて、聞いた通り思え」とは本当にそのとおりなのに、あれこれといろいろ考えていました。
ことり 2012.07.25 22:30 編集
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