仏凡一体

2012.04.14(Sat)

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仏凡一体01

仏凡一体といいますが、南無阿弥陀仏は南無阿弥陀仏のままで、私は私のままと感じています。

私の思いや行動とはまったく無関係なところで南無阿弥陀仏は有り難く存在しています。

私の心で価値を高めたり、低くしてしまうものではありません。

何か有り難いもので心が充満して、自分にも何かすごい変化が起こると思っていました。

もっと喜べるはず、安心できるはず、と思っていました。

自分がそうなってないと不安や不満を思わなくても、ご名号のお徳とおはたらきは常に変わらずあるのです。

身に満ちる、というよりはお借りしていただいている感じです。

返して無くなるわけではないけど、自分が仏さまになってるのではありません。

自分でどうにか出来てそれによって変化するお救いだと当てに出来ません。

ご名号との近さも感じますが、別の意味では自分ではどうにも出来ない隔絶されているような遠さも感じます。

またその遠さは不変さであり、ずっと変わらないという安心になっています。

仏凡一体02
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コメント
そのお味わいをもっと知りたいです。私の意思や自覚や思いなどとは無関係に南無阿弥陀仏がいつも働いているという点では、自分と南無阿弥陀仏は別ものであるという自覚が生じますが、私の心底に向かって願心が届いているという点からすると、とても身近で、これ以上身近な存在はない、と感じます。私の心底に届いている存在は、肉親でもなく、妻でもなく、お金でもなく、南無阿弥陀仏以外の何物もありません。私の煩悩は常日頃、心底から沸き起こりますが、弥陀の願心にふれた何とも言えない感情ももまた煩悩と同じように常日頃、私の心底から沸き起こります。南無阿弥陀仏が私の上に働いている、と感じられる瞬間瞬間です。
たかぼー 2012.04.18 12:35 編集
そもそも親兄弟もさほど身近に感じられない私なので、比べたことがありませんでした^^;

いつも私の中には私一人です。
阿弥陀様だけが静かにその中を見ておられる方と思っています。阿弥陀様にはガラス張りになってしまって隠すことが出来ない状態と思っています。
煩悩と片付けていいものかためらうほどの心を抱えているので、たかぼーさんの「願心にふれた何ともいえない感情」を私も常日頃に感じたいです。
そこの部分は私が詳しくお聞きしたいです^^
何か変わらないかと期待もしてしまうのですが、変わるよう心がけるべきとも思います。

少し補足を書き足します。
ことり 2012.04.20 01:09 編集
私もいつも、「私の中には私一人ぼっち」です。ところで、「願心」にふれた、というところの「願心」とは、私を摂取して捨てないという弥陀の仰せのことですが、その仰せにふれたときの「何とも言えない感情」というのは、ありがたい、という言葉では表現しきれない感情です。同行が「ありがたい」と言っているときの感情と一緒のものだと自分勝手に思っているのですが、同じかどうかは、言葉にしなければ分かりませんよね。これを直接、適当な言葉で表現することはできないのですが、これを表現すると、次のような感じになります。--私を気の遠くなる久遠からズッと待ち続けてきた、そして、これからも永遠の果てまでズッと離れず、私とともにし、決して私の前から消えることがない。そんな何か(存在)--です。そんな存在があると考えると、自然と涙がこぼれてくる。そんな感じですかねぇ? 親の情を知らなかった子供が親の情にふれて親の懐に飛び込んで泣き出してしまう場面とよく似ているのでしょうかね。私の内心に直接響き込んでくるそんな存在は、ほかにはありませんね。ところで、琴さんが「遠い存在」と表現したのは、気の遠くなる久遠からズッと私を見守り続け、これからも見守り続けゆくだろう、という感触を表現したように思えるのですが、どうでしょうか。
たかぼー 2012.04.20 11:39 編集
詳しく書いてくださって、ありがとうございます。
何気なく法話の本を読んでいる時などある言葉が急に心を捉えて涙が出る時があります。
その気持ちを言葉にしたら「ああ、そうなんだな、ありがたいな」になるのですが、心情を例えたらたかぼーさんのような「子供が初めて親心にふれた思い」というのがよく当てはまる気がします。
前のコメントでは親を身近に感じないなどと書いてしまいましたが、ずっと昔母親から「それぞれの子供たち用に今まで貯金していた」とお金を渡されたことがありました。子供を気にかけるような親ではないと思っていたので、とても驚いてうれしさと有り難さがこみ上げてきたことを思い出しました。
反省です。
「遠さ」については、当然ですがあらゆる点で私とはまったく違う存在の方という意味です。
阿弥陀様の御心以外で私がわかる部分、関係している部分はないし、共通、共有するような事柄もありません。私は一方的に心をかけられて受け入れていくのみです。
もっと何かわかるようになれるのかと思ったけど、三世もわからないし、地獄極楽もわかりません。
全くの受身であるんだなということが、私の中で遠さという表現になってると思います。
たかぼーさんが書いてくれた方が感動的だったかもしれません(^^;)
ことり 2012.04.21 14:13 編集
琴さま
「遠い存在」という感覚、よく分かりました。仏と凡夫という違いを感覚的に表現されていたのですね。ありがとうございました。
たかぼー 2012.04.21 17:17 編集
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