スポンサーサイト

--.--.--(--)

『スポンサー広告』 Comment-Trackback-
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「だが断る」

2017.04.16(Sun)

『未分類』 Comment(7)Trackback(0)
これはネットやツイッターなどでもパロディとして使われる用語らしいですが、元ネタは「ジョジョの奇妙な冒険」というマンガのセリフです。

岸辺露伴という男が敵に追い詰められている時に、その相手から助ける代わりにある交換条件を持ちかけられるシーンに使われます。

 「あいつを差し出せば… ほ…… ほんとに… ぼくの「命」…は… 助けてくれるのか?」と確認する露伴に、敵は

 「ああ~ 約束するよ~~っ早く呼べ!」

と、露伴が男を犠牲にして助かろうとすることを確信して笑います。

そのある男とは露伴が嫌いな男だからです。

自分が助かる為に自分の嫌いな男を差し出すのだから、まったく不都合はありません。

しかしここでいうセリフが「だが断る」なのです。



この「名言」の使い方としては

「自分にとって有益な話、美味しい話を、あえて突っぱねる」

なのだそうです。



ここはとてもカッコいいシーンなのですが、信心の沙汰をしている場面でしばしばこれを連想してしまうことがあります。

岸辺露伴風に言うなら

「ほ…ほんとに… 無条件で…助けてくれるのか?」と確かめた上で、

「だが断る」となります。


露伴には「自分で強いと思ってるやつに『NO』と断ってやる事が好きだ」

というポリシーがあるのでこのセリフが生きるのですが、

信心の沙汰では言葉のかみ合わない謎のやり取りになってしまいます。



自分では断ってるつもりは無いと思いますが、阿弥陀様のセリフを額面どおりに受け入れないと、傍からみると「有益な話をあえて突っぱねる」岸辺露伴風になってしまうのです。

信心の沙汰では「そこにシビれる!あこがれるゥ!」とはならないのが残念なところです。

世間のことならあまりに美味しい話には警戒するべきですが、相手は仏様です。

私達は後生に対しては手も足もでないことを認めましょう。

自分から何を足してもゼロなのです、「無駄無駄無駄無駄ァ」なのです。

別の言い方でいうと、後生助かるについてはすでに不足は無い状態なのです。

完成したものに対して、私達は一生懸命手を出そうとしているのです。


阿弥陀様にはNOと言って断らず、好条件に飛びついてください。



スポンサーサイト
トラックバックURL

http://kotonoito.blog89.fc2.com/tb.php/344-2a9cac48

トラックバック
コメント
俺が感じたことを心のままにコメしようとすると、どうしてもアレな感じになるのでこのブログは遠くから生あったかい目で見守ろうと思っていたのですが。

まさかジョジョの話題が出るとは思わなかったのでw
俺は第4部の途中までしか読んでませんが、名言多いですよね。

自分に関しては、阿弥陀さまに出会ってからも孤独感はあまり変わらないですね。
精神科通いは相変わらずだし、最近は悪化したのか生きることを諦めかけています。
今月、もう40にもなるし薬で症状をコントロールしながら仕事を続けて生きることになんかもう疲れてしまいました。

ただ、後生に関しては全く悲壮感がなくなりましたね。
それまでは「もう生きられないほど辛いのに、死ぬのも怖すぎる。神も仏もない」と苦悩と絶望しかありませんでしたから。
最近は、死ぬのが楽しみな自分もいたりします。
俺が何か書くほど真宗が誤解されるような気がしますが、自分みたいな社会不適合者にも阿弥陀さまは寄り添っていて下さいました。

南無阿弥陀仏


R1000 2017.04.17 21:05 編集
コメントありがとうございます^^

ジョジョは、ほぼ読んできてると思います、自分で買ったわけではないですが。
初めのころの方がよく覚えているけど、理屈っぽいセリフがカッコいいですね。

私も御慈悲がわかっても、日常の生活では何も変わらないというのが現状です。
しんどいなあと思うことも多いです。

でも、妙好人の記録って昔のものしかないのは不思議ですね。
現代に生きる妙好人がおられるなら、どういう考えでどういう人生を送られているのか聞いてみたいです。
信を得たことによる変化を期待する心が今でもあるのかなと思います。
ことり 2017.04.18 00:51 編集
このエントリーを読んでジョジョの奇妙な冒険第三部後半のボルナレフのセリフを思い出し、改変してみました。
「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
おれは 阿弥陀仏の本願を聞こうと思ったら いつのまにか断っていた。
な… 何を言っているのか わからねーと思うが おれも 何が起こったのかわからなかった」
こんな感じですかね。
山も山 2017.04.18 15:07 編集
コメントありがとうございます^^

このセリフも有名ですね。
イギーがかわいくて読んでいました。

「今のその聞き方」が「断っていることとイコール」であることに気付いてもらいたいです。
(「」をつけて書くとジョジョっぽい感じです。できればルビもふりたいですが)

「今・・感じる感覚は・・おれは『お慈悲』の中にいるということだ・・『信前』と『信後』がはっきり別れて感じられるぜ!」という所まで聞きぬいて欲しいですね。
ことり 2017.04.19 01:07 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017.06.14 13:58 編集
秘密コメント様

コメントありがとうございます。

「今のその聞き方が断っていることとイコールになる」という意味は、無条件と言われていても実際の本心ではこちらから条件をつけて聞いているということです。

「救いますよ」という言葉は知っていても、「そうは言っても今の私は無理なのでしょう?」とか「ド真剣になった人、追い詰められてる人だけに言ってるんでしょう?」という心はないでしょうか?

救われたいと願いながら、一方で自分とは関係ないことだと拒否したり遠慮したりする心はないでしょうか?

以前の私は意味を変換して聞いていたのですが、そうではなく「今のまま、そのまま、無条件で」と言われているのだから、それは本当に「今の私のまま、何の条件もつけらないまま」という意味だったのです。


「完成したものに対して、私達は一生懸命手を出そうとしている」という意味は、阿弥陀様のお救いの手立ては成就されているのだから、私達が努力する余地は何もないということです。
阿弥陀様は「やれるところまで作ったから、後はあなたの努力しだいだよ」と言われているのではありません。

先の話とかぶりますが、「今の私では無理だから、一層の努力が必要なんだ」とか「ド真剣にならないと救われないんだ」と何か自分の方でやることがあるのではないかという発想をしてしまうことを「こちらから手を出そうとしている」という表現にしました。

私達が何かやったところで、阿弥陀様のお救いは完成されているのだから無関係なのです。私たちは「はい、そうなんですか、ありがとうございます」と受け入れるだけです。
(無関係というと何か冷たい言い方かもしれませんね、こちらから手を出そうとする人を阿弥陀様が拒絶しているという意味ではありません。)

少々長くなりましたがお答えになっているでしょうか(^^;)




初期のころなら貸し出しもあったのでしょうか。

谷口さんのビデオはもう幻的な扱いだったような気がします。
ことり 2017.06.15 10:31 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017.06.15 16:37 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
▼ プロフィール

ことり

Author:ことり
こんにちは、
ようこそいらっしゃいました。
拙いページですが
お気軽にコメントしてください。
kotorinokotonoito@gmail.com

▼ 最新記事
▼ 最新コメント
▼ 最新トラックバック
▼ 月別アーカイブ
▼ TOEICボキャドリル

▼ カテゴリ
▼ 天気予報

-天気予報コム- -FC2-
▼ カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
▼ 検索フォーム
▼ RSSリンクの表示
▼ リンク
▼ ブロとも申請フォーム
▼ QRコード
QRコード

pagetop ↑

Copyright © 2017 ことり all rights reserved.
Powered By FC2 blog. Designed by yucaco.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。