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「帰る」の考察

2019.03.29(Fri)

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子供のころ、法事の際に「旅というのは帰る家があるから楽しい。帰る場所がなかったら不安で仕方がない旅になる」という内容の法話を聞きました。

母や祖母はいたく感動していましたが、私はあまりピンとこないで「当たり前のことを言っているなあ」という感想しか思い浮かびませんでした。

さらに会員時代には、「真宗なのに信心や阿弥陀様の話もされなかったただの世間話」として振り返り、これだからお坊さんはダメなんだ、と思っていました。

(子供のころの記憶なので、ひょっとしたら本当はお浄土の話もあったのかもしれません。)

今味わってみると「帰るお浄土があるから人生はそのまま家への旅路となり、だから安心できるのだ」ととても有り難い話に感じられます。

唯信鈔文意で「来」は「かへる」と解説されていますが、「帰」をネットで検索してみると

1.本来の位置へもどる。かえる。かえす。(帰還・帰宅・帰省・復帰など。)

2.あるべきところへ行く。おさまる。おもむく。よりしたがう。(帰属・帰依・帰命など。)

とありました。



普段当たり前のように使っている言葉なのに、意味を良く知るとまるで法語のように有り難く思えます。

「いらっしゃい」も「お帰りなさい」も人を迎え入れる言葉ですが、そこは新しい場所なのか、自分がもといた場所なのかという違いがあります。

「お帰りなさい」には「あなたはもともと私達の仲間だよ、本来あなたのいる場所はここなんだよ」という意味が含まれ、すでに帰属していて、自分もその一部であるという安心感があります。

もう根無し草でもなく、迷いの衆生でもなく、あなたはお浄土に帰って来るんですよ、と言われていると思うと、心が温かな気持ちになります。



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ご報告と反省・・

2019.02.26(Tue)

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先日ここにあげていたLINEスタンプですが・・

URLを載せたかいあってか、早くもリジェクトされてしまいました。。

理由は以下の通りです。


「申請されたスタンプは、以下の審査ガイドラインの項目に該当いたします。

 対象:スタンプ全体

 3.12.宗教、文化、民族性、国民性を攻撃し、または特に不快感を与えるもの」




リジェクトそのものよりもこの文言になんだか凹みました。

作る前に一応仏教的なスタンプを調べて、これならいけそうだと思っていたのですが、

私の認識がずれていたようです。



これまで阿弥陀様や信心がどうのと書いておきながら、

作ったものが「宗教を攻撃し不快感を与える」ものに該当してしまうなんて、

バチが当たるとはこのことかという恥ずかしい気持ちで一杯になってしまいました。


デリケートなことなのに、自由に描きすぎました。

本来の仏さまなら言われないセリフだし・・そもそもネコじゃないし・・・。

海外も含めた不特定多数の方の目に触れるものなので、もっとよく考えるべきでした。



仏さまは善悪とわれてないから大丈夫、と自分を慰めてみても、

そこに甘えすぎてるから謗法罪みたいになってるんではないかと思い返して落ち込みます。



信心がわからないと必死だったころにこんな絵を描いただろうかというと、おそらく描いてないでしょう。

以前に比べて今は法にふれたり求めたりする心も感度も減っています。

なんだか今の自分と法との関係を表してしまったような、思わぬ結果に終わりました。

本当に大反省です。



ただ描くのは楽しかったので、しばらくしたら別の何かを作ってみることにします。


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売らんかな

2019.02.15(Fri)

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作成中

突然ですが、LINEスタンプを作ってみました。
といっても、申請はこれからです。


ここにはあまり関係ないものは載せるつもりはなかったのですが、申請する際にそのスタンプを確認できるURLを提出する必要があり、別サイトがすぐには作れないしfacebookなどもやっていないので今回はここを使用することにしました。

(URL提出は必須ではないですが、あると審査が早くなるらしい為)



本人が作ったものか確認する為のようなので、ソフトで作成中の写真を載せています。

初めは真宗聖典などから言葉をひいて、ニッチな層向けのマニアックスタンプを作ろうと思っていたのですが、下書きを作っている段階で「いつ誰が使うんだ?」と思ってやめました。



だんだん売らんかな精神になってきて、欲丸出しの「幅広い層に向けた使いやすいもの」を目指してしまいました。

内容に難ありと思われないかちょっと心配ですが、このネコはコスプレでもしていると思って目をつぶってください。。


ブログ画像

ちゃんと審査通るかも心配だけど、実際の画面でどう見えるかも不安です。

ご紹介までに、こんな感じで24個あります。





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命に対する葛藤はないのか?

2019.01.14(Mon)

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ある時仕事場で、お肉の話題になって、2人の人としゃべっていました。

その時ふと私が「ラム肉は子羊だからなんとなく胸が痛む」と言った後の会話です。



A子「はぁぁ?!命がかわいそうってこと?そんなこという人、これまで聞いたことない!初めて聞いた!」

B男「人間は食物連鎖の頂点だからいいんですよ。もし人間より強い生物がいたら人間が食べ物になるってだけです。」

A子「かわいそうって言ってもその動物だって、それまで生き物を食べてるんだからお互い様でしょ!」

B男「じゃあ活け作りとかもっと無理ですか?え?あれ生きてるわけないでしょ、もう死んじゃってるけど身体だけ反応してるってだけですよ」

A子「何十年生きてきて、まだそんなこと考えてたの?旦那にも聞いてみなよ、絶対おかしいっていうから!」

B男「かわいそうっていうなら、タラコとか数の子とかどうなるんです?」



2人から思いもかけない壮絶なリアクションをされて、まったく対等な会話になりませんでした。

私としては多少なりとも生き物の命を奪っていることに対する罪悪感をわかってもらえると思ったのですが、まったくかみ合わないのです。

この2人の反応からすると、本当にこれまで一瞬たりともそういうことを考えたことがなさそうに思え、それが逆に不思議でもあり
恐ろしくも感じました。

家畜に限らず、弱い者に対する憐憫の情、他者への共感能力というものが完全に欠落した人達なのではないかという疑念も浮かびました。




まともに反論することを諦め「はあ~何たることか、地獄もむべなるかな」と私は思ったのですが、「いやひょっとしてこの人達は自分の姿をありのまま受けいれているのであり、多少の罪悪感で自分の罪をごまかそうとしている自分こそが偽善者なのではないか」とアニメ②の親鸞聖人のようなことを思ったりもし、とても複雑な気持ちになりました。

一切何の感情もいれずただ食べ物としてうまいうまいと言えることが、腹立たしいような、かえってうらやましいような気もします。

野生動物のように弱肉強食と割り切っている世界の方が、そこに罪が存在してないのではないかと思うこともあります。


ラム肉に関して胸が痛むのは、出荷されるまでの過酷な環境を本で読んだことがあるからです。

また生後数週間で命を奪われるという残酷さを思うとやはり手放しで「うまい、うまい」と喜ぶ気にもなれません。

もちろん他の畜産動物に対しても、罪悪感を感じずにはおれません。


やはり私としては偽善と思われても葛藤をする人の方が好きです。

ビートたけしさんが著書の中で、命を奪っている食肉に対して「うまいのまずいのと言えない」と書いておられており、とても共感を覚えたことがあります。


ちなみに夫は小エビを飼育しているので、海老を食べることに抵抗が生まれるようになったといっていました。

そういう感覚はとても大事なことに思えるのです。




この2人がたまたまであったことを望みますが、今回のことでひょっとして罪の意識を感じてる人は私が想像するよりずっと少数派なのではと思ってしまいました。

だとしたらとても残念で恐ろしいことです。



上から目線な言い方になりますが、、なんだかあまりに衝撃と腹立たしさを覚えて書いてしまいました。







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不思議な行事 

2019.01.10(Thu)

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新年明けましておめでとうございます。

更新がどんどん遅くなっているブログですが、何か思いついた折には書いていきたいと思います。


今年も例年通り夫の実家の近所で初詣をしました。

よく西新井大師にも行きますが、こちらはあまりに人出が多く、時間もなかった時なので諦めました。

会員だったころは神社に初詣には一緒にいくけど、自分はお参りはしないで離れたところで待っていました。

今は普通に鈴を鳴らしたりお賽銭を投げることもあります。

三が日中は活気もあってなんとなく気分も高揚し、心新たな気持ちになります。



ただ、お参りはするもののお願いごとをするというのが違和感があってできません。

いつも心の中で「なむあみだぶつ」とお念仏をするか「こんにちは」と挨拶をしてみるだけです。

真宗としてというより、自分の中で納得ができなくてお願いごとをする気になれません。



1年に一回適当に小銭を投げてお参りしただけでお願いを聞いてもらうなんて、都合が良すぎだな~と思ってしまいます。

私自身叶えたい願いもあって、効果があるなら真剣にお願いしたいくらいなのですが、「そんなわけないよね」と白けた気持ちになる自分がいるのです。

お願いごとをするには自分の住所も言わないといけないという話も聞きますが、神様は住所がないと私がどこにいるかわからないのも変だなと思います。

おみくじには凶とか平気で入ってるし、お守りとかお札とか粗末にしたら罰が当たりそうだし、神様はなんか怖いイメージもあります。



まああまり突き詰めて考える人もいないとは思うのですが、みんな何を根拠にお願いをしているのか不思議なのです。

そもそも神様はいる前提なのかよくわかりません。

みんな自分に対する決意表明のようなものなのでしょうか。

真宗としても、神様はいるけどお参りしちゃダメという立場なのか、いないからやっても無意味という立場なのかもよくわかっていません。



以前ある布教師の方に神社を通るときはどうしてるか聞いたことがあるけど、

「あんたは人の前を通るときも挨拶しないんか」と返され、ご自身はどうされてるかは答えていただけませんでした。

その返答から察するに、神様はいる前提で、頼ることはないけど挨拶くらいはするという立場なのかなと思いました。

無視されて怒るとしたら、やっぱり神様は怖いなと思ってしまいました。



そんなに怖くて面倒くさそうな相手ならやっぱり初詣なんか行かない方がいいんじゃないかという結論にもなりそうです。



新年そうそうに久しぶりに更新したわりにこんな内容でよかったのかわかりませんが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。








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